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第16条 他人をうらむ

 

 

人は他人に損害を与えられると怒りを覚えますが、その程度には個人差があります。

「まぁこの程度で済んだと思って諦めよう」

「思い出すのもしゃくだからもう忘れよう」

「なにか報復してやりたい!」

「同じ目にあわさないと気が済まない!」

「絶対許さない、このことは一生忘れない!」

というように感じ方は人それぞれですが、どれがいいとかどれが正解とかいうことはありません。自分の生き方に合わせて自由に選べばいいのです。ただし、宝塚では他人をうらむ人はブスだと教えています。

人をうらむという行為は、決して笑顔ではしません。眉間にしわを寄せ険しい表情で行うものです。その状態の時って人は幸せでしょうか?とても幸せなんて言えませんよね。人をうらんでいる間というのは、表情が暗くなるだけでなく幸せにもなれないのです。

 

 

相手を許す

いつまでも人をうらんでいても、自分にとってメリットなど何もありません。「もういいや、水に流してもう忘れよう」と相手を許してしまいましょう。人をうらんでいる時間があったら、自分の幸せを探す時間にした方がよっぽどプラスになりますよね。

 

 

相手を許すのは自分のため

「自分に損害を与えた相手を許すなんてできない!」と思う人もいるでしょう。でも違うんです。相手のために「相手を無罪放免にして解放してあげる」のではなく、自分が幸せになるために相手を許すのです。被害を受けるのは一つの苦しみですが、人をうらみ続けるのも苦しみの一つです。でも人をうらみ続ける苦しみというのは、いつでも自分でやめることができるのです。人をうらみ続けたところで損害が補てんできるわけではありませんし、時間が元に戻るわけでもありません。自分だけ苦しんで相手には何も伝わらない、人をうらむとは本当に意味のない行為なのです。

 

 

Mr.childrenが「シーソーゲーム」という曲の中で恋なんて言わばエゴとエゴのシーソーゲームと歌っているように、恋は欲と欲のぶつかり合いで進んでいきます。そのためお互いに傷つけ合うことになるのですが、相手を許せずうらんでばかりいたらどうでしょうか。恋を先へと進めるたびにうらみを蓄積していくのです。そして結婚生活もまた、エゴとエゴのシーソーゲームなのです。そういう人が結婚をしたとして、末永く幸せな結婚生活を送れるでしょうか。

「許す」も「うらむ」も自分次第です。

 

あなたはどちらを選びますか?

 

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